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 ところで、もしこのような状態にPさんがなってしまった時、Pさんが大小便の排泄のためにトイレを探している姿を目にしたら、皆さんはとても喜ばれるのではないでしょうか。たとえ使用後にトイレを汚してしまっているのを発見したとしてもです。
 『お母さんはトイレを使うつもりだったのね』とPさんの残されていた能力に感動されることでしょう。
 他の事についても同様です。着方に間違いがあっても、衣類を着ようとする気持があること、冷蔵庫を開けて食品を食べてしまっても、ゴキブリや蝉の死骸、大便などを拾って食べてしまうよりは、皆さんは安心できると思います。そして、そのような能力がまだまだ残されていることを神に感謝されることでしょう。
 今、Pさんの能力が失われていく事を悲しんでも無意味です。残されている能力、たとえその能力がまとまりをもって表現されていなくても、皆さんはその能力をPさんに代わって神に感謝してあげられたら良いでしょう」
 私たちは年をとると、自分が年老いたことを残念に思ったりします。したいことがあっても自分の年齢を考えて、することをためらったり、周囲からも『トシなんだから』と言われたりもします。しかし、よく考えてみると、自分に残されているこれからの人生の中で、今が一番若い時なのです。自分にとって、この最高に若いときを充実させないで『トシなのだから』と、したいことを遠慮したり、しないで悲しんでいては、もっと年齢が進んだとき、振り返ってみて、きっと残念に思うことになるのではないでしょうか。
 いろいろなことができなくなっていく認知症の高年者の能力も、私たちの年齢と同じようなものだと思います。今(現在)がこれからの将来のうちで、一番良い時期なのです。私たちがその良さを発見し、高年者に失わせないようにできるかどうかが問題なのです。

 ご家族は認知症を理解されたようでした。

【まとめ】
 わかることが一つでもあれば、皆さんは高年者と気持ちを一つにすることができます。
 幾つにも割れてしまっている認知能力の破片を集め、つなぎ合わせ、前の形態に近いものに修復できるかどうかが介護する人たちの役割です。
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