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| Wさんの一日の行動の中には、昨日と変わったことは何もありません。一昨日とも変わったことは何もないのです。おそらく明日も同じような一日でしょう。線路の枕木のように同じことが並べられた日々です。毎日が意味のない休日です。カレンダーには予定を書き込むスペースがありますが、書き込むことは何もないのです。これでは年月日を聞かれても答えることができなくなるのは当然です。枕木のような日々の上を走っていくのは「老化と認知症」という急行列車ばかりです。 最新のニュースは、いつか外へ出た時、自動車が自転車に乗った人をはね、その事故現場を目撃したことです。恐ろしかったからよく覚えています。Wさんはいつまで経ってもその日のことを昨日のことだと思っています。たまに娘が訪れてきても、その話ばかりしています。したがって娘にも相手にされなくなりました。 テレビを見てもニュースなどはあまり見ません。大臣が誰であっても、法律や政治が変わっても、Wさんの生活には関係ないことばかりと思っているからです。それに、視力も衰えてきて、目が疲れるので見る気にもなりません。 訪問する人もいないし、娘もほとんど来ないので、知人や友人のことが話題になることもありません。 このような日々の連続では、Wさんの経験や知識は存在価値を持ちません。Wさんが存在していること自体も不自然なことになってしまいます。 最後には、一日また一日と「時間」がWさんを傷付けていきます。逮捕される加害者はいませんが、Wさんのような人たちは被害者なのです。 本来であれば、人は日一日と成長していかなければなりません。昨日と違った心の豊かさを、今日一日分だけ加えなければならないのです。明日が持つ夢や計画の実現のために、Wさんにはそのように生きる「今日の努力」と、周囲の人たちからの「今日の協力」が必要なのです。 歩けなくなった頃から、何人かの介護する人たちがWさんの生活に近付きました。孤独な生活がいくらかでも改善されたのです。したがってWさんにとって歩けなくなったことは、かえって幸せだったのです。しかし、その人たちはWさんの認知症が進行していることに気が付きませんでした。ただの老衰状態と思ったようです。 私たちの病院に来たときには、認知症はすでに手遅れの状態になっていました。単調で孤独な生活、夢のない生活はWさんの人生が有終の美を飾ることを拒んだのです。 |
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