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私たちは若い頃からの長い間願っていたことを実現して、老後は元気に楽しく過ごしたいと考えます。また、いろいろな気掛かりなことを解決しておき、思い残すことのないようにして、安心して一生を終わりたいとも考えます。そして、もしそれまでの自分の苦労が十分に評価され、相応に報われることにでもなれば−それは望外のことなのですが−「何と幸せな人生なのでしょう!」ということになるでしょう。 しかし、現実にはどうでしょうか。過去にされた苦労・我慢の割りには報われていないお年寄りが多いようです。つまり ・長い間願ってきたことがかなえられない。 ・予定されていたことが実現されない。 ・こだわりを持っていたことが納得がいかないままになっている。 ・責任感の強い人であったのに、仕事上・金銭上の未解決の問題が残されたままで引退してしまっている。 ・子供たちについての心配事が改善・解消されないでままである。 ・周囲の人達から仕事などに参加・協力を頼まれることもない。期待されることもない。 能力・存在価値を認めて貰えない。 ・仲良く付き合う人もいない。孤独で変化のない日々が続いている。 ・楽しいこと、優しいこともない日々が続いている。 ・老後の生活への不安感、病気などに対する恐怖感を取り除くことができないままでいる。 ・現在もこれまでと同じ様に、人に助けて貰えない、親切にされることもない。 などの生活を余儀なくされているお年寄りが大勢いらっしゃるのです。これらのお年寄りのなかにはつまらない・淋しい・悲しい・残念・くやしい・つらい・心配・恐ろしい・苦しい・イライラする・早く死んだ方がよいなどの気分に押し潰されそうな毎日の中で、老後を過ごされている方もいます。 このような感情が長い期間続くことは、お年寄りの意欲・関心を低下させ、生命を存続させる力を失わせます。お年寄りの脳細胞の働きを低下させ、さらには脳細胞を崩壊させて、認知症を引き起こさせ、進行させる結果となります。 ところで願望・要求・予定などを実現したいのは誰でも同じです。 また、実現されない時の不安や失望を予防・回避するための行動に出るのも人の常です。そのために現在の状況を改善するための『抗議・抵抗』の言動が出現しても不思議ではありません。 しかし、このような時に、お年寄りが認知症状態にあると、願望・要求などは変形されたものとなって表現されることが多く見られます。そして、お年寄りには意識されていない−つまり計画されたものではない−無意識的な言動として表現されます。それは、現在の状態のままでは、失望と落胆のため生きる力が弱まり、さらには認知症も進行してしまうことを言わばお年寄りの生命そのものが知っていて、生活を改善するための協力者をお年寄りに求めさせているかのような行為です。 言い換えれば、[5]の段階の認知症症状には必ずと言ってよいほど、その言動に至る原因・理由があります。周りの人達はその原因・理由にきちんと対応すればよいのです。お年寄りが何を望んでいられるのかを私たちが理解し、その実現に協力することが、お年寄りに生命力を回復させ、さらには認知症の進行阻止・改善に役立つことになるのです。生活史型認知症においては、この原因・理由こそが時期を早めてお年寄りを認知症状態へ導いていた張本人だと考えるからです。 「盗りもしないのに泥棒呼ばわりされて迷惑」とか「夜も寝ないでウロウロ歩き回られては困る」などの文句・叱責によるご家族の解決の方法は適切ではありません。そのような対応では、お年寄りは時期を早めて認知症状態を出現させられてしまったことになるでしょう。お年寄りにとっては大変不幸な考え方をする人達と共に生活をしていたということにもなるでしょう。 なお[5]の段階では、お年寄りは夢(未来)が傷つき、今のご自分(現在)がボロボロなのです。この時期には、お年寄りは思ったり願ったりするように、周囲が見えたり聞こえたりしてしまうのです。そしてそれによってお年寄りの気持ちは救われたり、場合によっては傷ついたりしています。この場合のお年寄りが『思ったり、願ったりすること』は、過去から現在までのお年寄りの生活、つまり経験に影響されたものであり、このような事実は『生活史型認知症』の存在を主張する根拠にもなっています。このような因果関係による行為が、[5]段階に該当する認知症症状として出現しています。ここでは、二つの典型的な例を挙げみます。お年寄りへの対応のヒントとしてください。 |
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