| 三重大学教授 小内山實 | |
| つい先年成人を迎えたばかりと思っていた御殿場高原病院が、もう二十五周年を迎えたという。完全に独り立ちの年輪を刻んで既に五年の歳月が流れたことになろう。何はともあれ大慶至極と言わなくてはならない。 四半世紀前の開院式、乾杯の音頭をとらしていただいたあの日から今日に至るまで、入れ替わる職員の顔触れ、様変わりする建物の佇まい、認知症者を含めた対老人の我が国の医療制度とシステムの、手放しでは喜べない急激でダイナミックな変貌を、精神科医・保険所長の立場から、あるいは『小山内ゼミ』を通して、その都度問題にしてきた私には、この平成十六年は実は後で振り返ってみて、正・負を問わず、当院が大きな曲がり角にさしかかっていたのだと気が付く日が来ることにないはしないか。そんな気がする。 だから、当院が二十六歳に向かい始めたこの四月は、開院時の職員が「熱いこころ」で共有していた「初心」を、じっくりと吟味する必要がある。 この課題に取り組む材料の一つに、もちろん清水院長の四冊の著書とビデオがあるが、私は自分の研究室にこれら院長の著作・ビデオと共に、十八年前に発行された『月間ナーシング』昭和六十一年九月号を並べて置いてある。この雑誌に寄せた当院職員連名の論文『老齢患者の「心のトゲ」を抜くケア』には、最も大事なのは「患者さんの身の回りの世話」を中心とする介護ではなくて、「患者さんとどこまでも人間としておつきあい」させていただく「パートナーシップ」だということが、ちゃんと書いてある。 「・・・どんなに無駄だと思われてもボケたお年寄りに対してベストを尽くしてあげることが、・・・具体的には何回でも何時間でもお年寄りのいうことを聴いてあげるのが職員の義務だと思う」と言い切っているのである。 この姿勢こそが人間が人間に対して取れる究極の姿勢、人間としてのパートナーシップの極めて具体的な態度ではないのか。「心のトゲを抜くケア」の正体は、このパートナーシップのことなのである。 この四月、清水院長が隣国・中国の華中科学大学同済医学院客員教授と宇部フロンティア大学大学院臨床教授の、単なる名誉職でない二つの称号を同時に手にしたことは、当院全職員にとって「二十五年目の初心」への導きの糸となろう。 |
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