医学ジャーナリスト 宮田親平
 清水先生が御殿場高原病院をつくられた動機については、精神病院で粗悪な老人医療を見られたことがあったとお聞きしましたが、その粗悪な医療とは次のようであったろうと想像されます。これはやはり老人医療で知られる医師が、最近書いていたことです。
「この世に老人病院なるものがあるのを知った。その病院は八王子の山中にあり、いくつも連なる二〇畳ぐらいの部屋には布団が敷きつめられ、それぞれ一二、三人のお年寄りが転がされていた。 雑然としてゴミだらけの病棟に漂うすさまじいばかりの不快臭、動きのほとんどない病室の奇妙な静けさと看護室で談笑する数人の職員。そこはまさに、長生きした人がその罰として人生の最後の数ヶ月を過ごす収容所そのものといった雰囲気であり、さらに驚いたことに、そこに入院するのに二、三ヶ月は待つとの説明であった」
 小生もそんな光景をかいまみています。成長経済のさなか、それが生み出したのは働き手や若者だけの繁栄でした。その裏でこのように、お年寄りが見捨てられていたのに、行政も社会もほとんど気がつかなかったのです。
 それから幾十年。「寝たきり」とは「寝かせきり」であると喝破した朝日新聞の大熊由紀子さんらの活躍もあって、いろいろ問題を抱えながらもともかく今日の介護体制を迎えることができました。こうした援護射撃も、あくまで先生らの先駆的な実践があってのことです。
 先生はしかも施設というハードルだけでなく、お年寄り一人一人の心の中まで手を差し伸べられました。これはいまや「こころの時代」といわれる今日の医学のパイオニアでもありました。その優れた指導性のもとで、若い人たち(若くない人も含めて)が一丸となっている姿は感動的です。何事にも先達は苦労します。二十五年間のご苦労は並たいていではなかったと思いますが、どうかこれからも老人医療のモデル的活躍をされることを願ってやみません。マスメディアも援護したいものです。