看護師 高橋洋子
 「顔は悪いが身体が丈夫なだけが取柄よ」それが私の口癖だった。「健康」という字は私の為にあるものと思っていた。しかし人生後半、気がついたら何時の間にか病気の問屋になっていた。胃癌の手術を筆頭に、リンパ線切除、子宮筋腫、腸閉塞の手術と、7回も身体を切り刻んでいる。「もう病気はいらない!」と叫んでいるにも関わらず、血糖値が気になり医者に行けば、「糖尿病です。食事療法と毎日30分の散歩をして下さい」との診断だった。

 最初は「何で私ばかりに・・・」と打ちひしがれていたが、嘆いていても始まらず歩き始めた。「よし、静岡県内の市町村を全部歩いてみよう」と思い立ち、暇を見つけては地図を片手に浜松や由比など20数市町村を歩いた。
 飾り気のない地元の人たちとのふれあい、道端に咲く名も知らない小さな草花が、「私だって一生懸命咲いているよ、頑張って」と励ましているように見え、思わず足を止めその草花を撫でていた。青空の下、小鳥の囀りを聞きながら、土手に腰を下ろして食べるおにぎりの美味しさは格別だった。
 いろいろな公園を歩いた。きちんと整備されてる所もあれば、草だらけ、弁当の食べ残しや空き缶が散乱している所もあった。誰かが片付けてくれれば気持ち良く休めるのにと勝手なことを思った。

 それから数週間後の朝の散歩の時、気分転換に散歩のコースを変えてみた。住宅街を通り抜け、雑木林を過ぎて行くと小高い丘があった。行ってみると辺り一面、雑草が生い茂り道らしき道はなく、枕木で作ったベンチは朽ち落ち錆びついた釘が飛び出していた。
 見渡せば富士山の裾野の方まで一望出来る素晴らしい風景、家から10数分の所にこんな所があるなんて少しも知らなかった。そして「地元の人たちは、なぜもう少しきれいにしてくれないのだろう」と思った。それなら私がやろう。私がきれいにしよう。そんなことを考えながら家へ帰った。

 次の日から鎌を片手に家を出た。来る日も来る日も草取りをした。雑草は必死に大地にしがみつき、私を嘲笑うかのように刈れども刈れども生えてきた。手前の方を刈れば奥の方が伸びている。開墾した人たちの苦労が身にしみて解った。真夏の太陽の下、流れてくる汗が眼にしみた。木枯らしの吹きつける中、氷のように冷たい石を片付けた。手は豆だらけになり、それが破れて軍手を血で染めた。笹が爪に入り、それが化膿して指が腫れ上がった。道行く人が怪訝そうな顔をして通り過ぎて行った。しかし、どんなに痛い思いをしても、暑くても寒くても、この草取りをやめようと思ったことは一度もない。常に夢を持っていた。この丘を花いっぱいにする夢を・・・。いつ実現するか解らない夢を描いて、コツコツと草取りをした。

 数年が過ぎた。花を植える場所が出来たのでチューリップ、ヒヤシンス、水仙などの球根を植えた。水がないので公民館よりポリバケツで運んだ。重さに耐えきれず地面に何回も置きながら往復した。水は乾いた大地にあっと言う間に吸い込まれていった。初めて芽を見つけた時は本当に嬉しかった。赤ちゃんを労わるようにその芽にふれてみた。「頑張って咲いて頂戴」と願った。
 せっかく植えた球根を持って帰られたり、やっと出た芽を自転車で踏みつけられたり、挿し木をして育てた紫陽花を踏み倒されたりした。踏み倒された紫陽花を植え直し、竹の棒で支えをした。翌日行って見ると、どうにもならないほど踏みつけてあった。踏みつけられた紫陽花を拾い、眺めていたらひとりでに涙が流れてきた。

 数ヵ月後、私を励ますかのようにチューリップやヒヤシンスが、赤や黄色やピンクの素晴らしい花を咲かせてくれた。嬉しくて上から横からいろいろな方向から眺めた。道行く人たちも「お花きれいに咲いたわね」「遠回りだけど、花が見たくてこの道を通るのよ」などと言ってもらえるようにやっとなった。怪訝そうな顔をして眺めていた人たちも、「そんなに頑張るなよ。風邪ひくぞ」「花見をしながらバーベキューをしよう」と声をかけてくれるようになった。
 ベンチは大工さんに木片を貰って打ち付けた。そのベンチに腰掛け本を読んでいる人、肩を寄せ話をしている若いカップル、カメラを脇に弁当を食べている人、おばあちゃんが孫と戯れている、そんな人たちの姿がこの丘で見られるようになった。歩くことから始めたこの小さな行為が、雑草が生い茂っていた時は、ほとんどの人たちが来なかったであろうこの丘を、ふれあいの場、心の癒せる場に変えようとしている。こんな嬉しいことはない。

 病気がちな私が、今日も元気にこの丘に来られることに感謝し、この丘がもっともっと花いっぱいになることを夢見ながら、明日も明後日も、身体の動く限り、草取りを続けていこうと心に決めている。
 日本一の富士山を眺めながら、少しでも人に喜んでもらえることに生きがいを見つけた私は幸福です。