事務長 小野瀬忍
 それは自分でもそんな大変なことになっているとは気付かない時から始まった。上の娘から電話がきた時「パパ大丈夫?」と聞かれ、「大丈夫だよ」と答えたが、私の声がよほどいつもと違っていたのだろう、どうもおかしいので様子を見に行って欲しいと頼まれた下の娘が夜中過ぎにかけつけてくれた。私自身は風邪をこじらせたかな位に思っていたが、朝には着替えも大変なほど体力消耗しており、もはや電車にも乗れる状態ではなかった。私は何としても自宅へ帰りたいと思い、娘の友達の車に乗せてもらい、4月9日夕方5時にやっと自宅へたどり着いた。

 妻は出先から3時に帰宅して私の帰りを待っていた。ともかくすぐベッドで休んだが、何も食べられず脂汗を額にかいて手足が冷たい私の様子に、妻はただごとではないから救急車を呼びましょうと言う。私は自分の車で行きたいと言い、日立病院へ連絡してもらい、妻の運転で病院へ、そのまま緊急入院した。診て下さった当直の医師はすぐにもどうなるか分からない程、ひどい心不全をおこしていると言われ、即集中治療室へ。その時の血圧は70以下、腎機能の低下、肝機能通常の100倍の数値であった。自分では何も分からないが、家族の驚きは大変なものだったと思う。約1週間点滴のみで絶対安静で集中治療室におり、その間は意識がはっきりしていたので、仕事が気になり妻に頼んで連絡したりしていた。

 4月14日、やっと一般病室へ移れることになり、初めて起きて車椅子で移動し、トイレも行けるようになった。2時過ぎにベッドに入ったところへ見舞客が訪れ、ベッドに座って30分くらい対応する。寝ていた方が良いと妻にも言われたのだが、やはり少しでも元気なところを見せたい意識か、見舞客に悪いと思ったのか、自分でも良くわからないが、疲れるのに無理してしまった。
 夕食はあまり食べられず、オレンジが非常に美味しくて、もっと食べたいので買ってきて欲しいと妻に頼んだ。買ってきてくれたオレンジをむいて口に入れたら飲み込めず、急に声も出なくなった。様子が変なのに気付いた妻が慌てて看護婦さんに連絡し、飛んで来た医師は私の目を見るなり「脳梗塞を起こしている」と告げたという。心臓に出来ていた血栓が脳に飛んだらしい。昼間、一般病室に移った時、もう安心と思って妻に帰宅するように言っていたので、妻はオレンジを食べさせたら帰ろうと思っていたという。この時、もし妻が帰っていたら、集中治療室ほど目の届かない一般病室では発見が遅れていたかも知れない。

 それからの私は意識不明となり、妻や子供から聞かされた話によると、すぐMRIで検査し、左脳の入口の太い血管が詰まってしまい、完全に右半身不随をおこしてしまった。脳外科の医師が、強いリスクがあるが、今から血栓を溶かす薬を注入して、何とか機能を取り戻せるようやってみたいとのこと。もちろん家族はそれをお願いして、同日午後8時から11時までの3時間の手術に耐えた。
 あとから聞いたところによると、血栓は起こしてから4時間以内はゴールデンタイムと言われていて、その間に治療ができると機能が戻る可能性があるとか。医師は言語の回復までは無理かもしれないが、これ以上やると危険という限界まで努力して下さった。その夜のうちに運動機能が戻り始めたのを見て、妻は先生が神様に思えたと述懐している。

 手術後は脳の集中治療室で安静にしながらリハビリを受け、脳が落ち着いてきたので再び心臓外科の個室に移された。その時点では、まだ心臓は良くなっていなかったが、それからは毎日、運動と言語のリハビリと点滴などで少しずつ良くなってきた。その間、入れ替わり多くの方々がお見舞いに来て下さり、仕事の話など相手によって話題を変えながら会話をすることが出来るようになった。それが言語リハビリに大いに役立ったようで、皆さんに感謝している。
 心臓の方も八部通り良くなったきたので、医師の勧めにより5月にはリハビリ専門の設備がある病院へ転院することになった。その頃になっても自分の体力はまだまだ戻らず、随分痩せていたが、リハビリに行くと手足の不自由な方々が一生懸命練習しているのを見て、自分も同じ運命だったかも知れないと、初めてこの病気の大変さを実感させられた。
 5月30日、ようやく退院の日を迎えた。院長は「小野瀬さんのように回復出来たのは奇跡的なことですよ」とおっしゃられ、本当に意識していなかった自分の病気のことを、改め考えさせたれた。

 この度は清水院長はじめ職員の皆様方にも大変なご心配をおかけしましたが、まさか現役復帰出来るとは家族も思っていなかったようです。しかし私はどういうわけか、仕事が出来なくなるなんて、思ってもみませんでした。それどころか早く仕事に戻って、皆様に迷惑をかけた分を頑張らなくてはならないと思っていました。この気力が私の回復の力になっていたのかも知れません。
 思い起こしてみますと、あの心不全を起こした時は、妻が用事やらで茨木の実家に帰っており、自分の健康を過信していた私は、不規則な生活や睡眠不足の日々を送っていた時でした。これまで何事もなく、暴飲暴食しても大事に至らなかったのをよいことに、少し無茶をしすぎたかなと反省しております。娘と妻が早く見つけてくれなかったら、どうなってしまったかわかりません。健康の有り難さを改めて噛みしめております。
 この度の病気は、肉親ばかりではなく、職場の方々にも多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。これからはせっかく助けていただいた命を大切にしながら、お役に立てるよう頑張ります。
 院長先生はじめ職員の皆様、本当にありがとうございました。